二代目の去勢手術の日、決めました。
いろいろなスケジュールが入っていない週に。
そして、前後の日にも、何もないことを確認して、ようやく、週末の手術を予約しました。
・・・だけど、日にちを決めるのが、早すぎたのかな?
やっぱり、用事が入りました。
しかも、帰りが、遅くなります。
どんなに、がんばっても、自分だけでは、どうにもならないことが、世の中には、あります。
担当してくださる先生に、お話しを聞きました。
自分が納得するために、相手の時間を、頂戴していることに、なります。
とても、申し訳ない気持ちです。
だけど、二代目のことも、大事です。
わたしは、二代目の保護者です。
保護者というのは、大事な命のことを前にして、遠慮ばっかりは、できないものだと、知りました。
遠慮するのは、美徳じゃないんですね・・・。
学校でおこった出来事が、ニュースになったりすると、よく「(保護者が)図々しい」と、感想が書かれていることが、ありますよね。
他にも、母親の対応に対して、「自分だったら、こうするのに・・・」という提案が、書かれていることが、ありますよね。
そんな感想とか、提案とかを読んでいるうちに、自分も、「そう思う」を押しそうになる、ひとりです。
だけど、ほら、こうして、いざ、自分が、保護者になってみると、やっぱり、図々しくも、相手の時間まで、頂戴してしまうものなんです。
他の人に、迷惑を、かけてしまうものなんです。
「他人に迷惑をかけない」ことは、できないんです。
生きているだけで、迷惑をかけてしまうものなんです・・。
これまで、わたしは、「不安というのは、わからないせいで、起こるものだ」と思ってきました。
「知」は、不安をなくすものだと、教わってきて、それが、自分には、染みついて、いました。
だから、わたしも、それなりに、去勢手術について、術式とか、縫合とか、調べてみました。
本当に、大事なものの前では、調べても、調べても・・・、不安は、つきまとってしまうものです。
他にも、大事なもの、例えば、お金だとしたら・・・調べて、勉強して、納得すれば、自信を持って、運用できるでしょう。
だけど、命というのは、取り替えることができないんですね。
そうすると、自分にとって、一番、大事なものは、二代目なんだな、って、改めて、思うんです。
たぶん、仕事よりも、お金よりも、大事なものです。
なんだか、じぶん観察をしているような、感じに、なってきたけど・・・。
こうやって、とことん、悩まされることで、やっとだけど、わたしたちは、他人に、やさしくなれるかもしれません。
もしも、この話が、他人のうさぎさんだったとしたら・・・。
わたしは、まだ、エラそうに、自分の調べたことを教えて、説得しようとする・・・はずです。
いまさらだけど、うさぎさんから、学ぶというか・・・。
うさぎと暮らしたことが、自分の人生を、大きく変えるきっかけに、なっています。
悩みすぎてしまって、昨晩は、ストレス性の呼吸困難に、なってしまいました。
動機、息切れ、めまい、心臓チクチク・・・この症状は、どうも、ストレスが原因だそうです・・・。
こんなにも、ストレスを感じてしまう自分は、ほんとうは、うさぎさんと暮らすことに、向いていないのかもしれません。
うさぎさんが、大好きすぎるわたしは、ふれあいコーナーなどで、うさぎさんを寝かしつけるくらいの暮らしが、よかったのかもしれないな・・・。
去勢は必要か、去勢は必要でないのか・・・これは、もう、信条でしかないようです。
去勢したら、長く生きるのか、去勢しなかったほうが、動物ほんらいの姿なのか・・・。
複雑すぎて、わたしごときでは、どうすべきか、解けない問題です。
二代目の去勢は、愛うさぎが天国に行った、あの日から、決めていたことです。
わたしたち、人間には、うさぎという生き物を、制する(=コントロールする)ことは、できない。
ホルモンが影響して、病気になったり、ストレスになったりするもの。
次から、家族になるうさぎさんには、無条件で、避妊・去勢手術をする・・・。
そう、愛うさぎが亡くなった日に、決めたことです。
それなのに、こんな悩み方をしている自分は、ほんと、情けないです。