絶望の中で、生きる。
愛うさぎは、うさぎの姿だったけど、わたしの娘のような、わたしの友人のような、戦友のような、感覚でした。
たかが、うさぎで・・・と、笑われるかもしれないけど、わたしにとっては、大事な存在でした。
当たり前の人生を生きている人たちは、わたしの姿を「大変だ」とか、「かわいそう」と思うみたいで。。。
「だれそれさんの旦那さんが、うつになって、リストラされて、大変なんだよ」とか。
「どこどこさんの奥さんが、転移性のがんで亡くなって、旦那さんが、かわいそうなんだよ」とか。
「別の国に、生まれていなくて、よかった」とか。
わたしよりも、もっと、大変で、かわいそうな人がいるんだよ、というメッセージをくれます。
その人たちなりに、わたしを、はげましているのかも、しれませんが・・・。
だけど、わたし自身は、自分が、大変とか、かわいそうとか、思っていませんよ。
自分よりも、大変な人がいるとも、かわいそうな人がいるとも、思っていませんよ。
うまく表現できないけど、「無」の感情なのかな???
わたしは、愛うさぎには1つの命で、わたしにも1つの命があった、という単位です。
だから、家族で、1単位とは、思っていないよ。
わたしは、半分になって、壊れたわけじゃない。
だけど、家族という、単位で生活している人にとっては、感じ方が違うのかな。
病気になること・・・欠けること・・・で、1単位が、壊れた感じになるのかもしれないね。
他の人を「かわいそうだね」って、いう人は、自分と他人を比べて、かわいそうと思っているのかもしれないね。
わたしは、愛うさぎを急に見送ることになって、たしかに、何もなくなった感じがするけど・・・。
ちっとも、かわいそうな人じゃないよ。
自分と他の人を比べても、そこには、何もないことが、はじめて、わかった。
死別は、とてつもない、マイナスの感情がわいて、そのあと、無心になるんだね。
こんな感情を、経験する機会がなかったら・・・。
わたしも、簡単に、「あの人は、かわいそう」という人になって、他の人を傷つけるのかもしれないなぁ。。。
そういうわたしも、むかしは、「自分よりも、もっと、かわいそうな人がいる」なんて、思っていたかもしれない。